酷暑が厳しい中でも、朝、夕方は日陰になると、空気が涼しく、幾分、外に出る気がいたしますね。セミも暑い昼間には鳴かないので、もしかしたら、気温というものを感知しているかもしれませんね。昔は、日中、ずっと鳴いていた気がいたします。
一階店舗(スケルトン)、地下店舗(居酒屋居抜き)がございますので、お気軽にお問い合わせください。どうも、メールのほうが調子が悪いようで、届かないということがございますので、お電話が確実かと思います。または、ホームページのお問い合わせが確実でございます。確実に届く連絡先で、ご連絡お願いいたします。
最近、ふと思ったのが、人間が真に決定を行えたり、責任を引き受けたりできる割合は三割ではないかということです。三割、30%です。すべての結果の原因が、良いことも、悪いことも、100%あるわけではなく、個人ができる範囲で頑張った結果が、多くて三割り程度ではないのかなと思うのです。
どんなに頑張っても、運命(運や外部環境)、他人の意思で決まることが存在し、功績も悪行も三割り程度しか、本人には存在しない可能性があると考えるのです。自分の実力がいかに優れていても、どうもそんな気がするのです。報道や本で、この結果は、この人のお陰で存在した!という物語も、そうでないような気がいたします。
『クリティカルシンキング入門編』などといった本を読んでいますと、そういう気持ちが起こります。これは、二十年ほど前に、何を考えの柱にしたらいいのかな、という疑問から手に取った本でございます。お暇があれば、是非、ご一読お願いいたします。おすすめです。
だからといって、確率論の考え方である「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」とか、若干の嫉妬のこもった、「三代目、売家」というのも、なんか、しっくりこないですね笑。三代目、売家というのは、是非、ご紹介できますので、よろしくお願いいたします笑
最近、他に考えているのは、値段と質と量ですね。
量が増えれば、質が下がる。質を上げようと思えば、値段をあげなければいけない。そういう原則が、最近、崩れてきているのではないかと思うのです。質は下がり、量も減り、値段は上がるという現象が起こってきているような気がします。
単純な話だと、値段が上がれば質を維持したまま、量が増えるという考え方ができますが、そうでないことが起こっているそんな気がいたします。これについては、個人的な話ですが、質を下げざるを得ない、値段は上げざるを得ない、という悪循環でしかないことが、仕方なく行われるだろうと思います。
これについては、今後、注目していく必要がありますね。
今後とも、国際ビルをよろしくお願いいたします。
メール以外での問い合わせも、もちろん、大丈夫なので、よろしくお願いいたします!
酷暑厳しい日、いかがお過ごしでしょうか。昨日、神戸は雨が降り、地中温度が下がったところで、セミが鳴き始めました。雨の降らない日が続いて、気温が高い日が続けば、もしかしたら、セミは秋の風物詩になるかもしれませんね。そういう怖い環境ができないよう工夫していきたいものです。
ちょっと気晴らしに、自転車で、街の変化を感じ取ろうと、まわっていましたら、昨年オープンした本屋さん兼カフェを見つけました。印象の良い店主さんで、本の品揃えも、違う興味を見つけるための陳列で、店内はおしゃれで、それが逆に、私にとっては相応しくないような気がいたしました。
おしゃれなカフェやレストランはどうも、苦手で、友人のところでないと落ち着きません。新長田周辺も、おしゃれなカフェやレストランが増えてきていまして、どうも入りづらいです。値段は安くても、何か、入店するときは緊張しますし、場違いなような気がして、それでいて、店主さんは頭が良さそうで、話が噛み合うのかどうか、分からないという不安にも襲われます。
幸いにも、新長田周辺の店主は場違いな私でも、快く受け入れてくれる度量があり、助かっております。これが、別の場所だったら、自尊心を傷つけられて、退店し、家に帰って、泣きながら、酒を飲んでいるかもしれません笑
確かに、おしゃれな内装の店は、店主が気取ったセンスを持っているとかではなく、もともと、センスが良いのでそうなっただろうと想像でき、決して、背伸びしたとかではなく、その店主がそのレヴェルに在るということですから、責められないにしろ、何か、こうルサンチマンみたいなものが黙々と、私の心の中に現れてきます。
そこでですね、わたくし、テロを起こしたいなと思いました。
どういうテロが良いのか、考えて考えた末に、「ダルマを店内に置くことを強要する」ということを思いつきまして、これは名案なのではないかと今、書いています。
1月10日のえべっさんの時に、小さなダルマを3つほど買い込んで、店内に置くことを強要するのです。なんとか、説得をし、「おしゃれの究極は隙のあることだ」「おしゃれとはユーモアである」などと議論をふっかけて、店内にダルマを置いてもらうのです。そして、事あるごとに、店に訪れて、ダルマが在ることを確認するのです。
我ながら、最高のテロを思いつきました笑。ただ、店主がダルマを置かない!と強硬姿勢を取ったのならば、それはただのおしゃれな店なのです!そこに思想はありません。
日本のダルマって素晴らしいものじゃないですか。これがあるだけで、何か、店内が華やぎそうな気がします!
片目の入ってないダルマの在る店内というのも、とてもおしゃれだと思います。
みなさん、ダルマをおしゃれな店にダルマを置くというテロをおこそうじゃありませんか!
注:決して金銭を要求するものではありません。
最近は、梅雨のジメジメした気候が続いています。国際情勢も不安定で、この先、どうなっていくのか、大変、不安に思います。どちらかというと、暴力が支配する世界よりは、法が機能する世界の方が好ましいですよね。ただ、暴力に立ち向かうには、それとは違った力(これも暴力かもしれません)が必要になるので、そういうことよりも、別の戦い(気候変動、貧富の差、疫病など)と人類が戦ったほうが良いとは思うのですが。
国際ビル302(3B)号室が成約いたしました!
スナック店舗は残り僅かなので、関心のお有りの方は、お早めにお問い合わせください。最近、問い合わせや内見が多いです。早いもの勝ちですよ!
一階店舗(スケルトン)、地下店舗(居抜き飲食店)も引き続き、お問い合わせをお待ちしております!
年を取ると、経験が増し、人によっては想像力の幅が大きくなり、大抵のことは、想像通りだなと新しい刺激が無くなってきます。寂しいですよね。
そうはいっても、私の場合、「何かの頂点に立つ」という世界は未経験なので、そうなった時に、どんな世界があるのだろうかと、これに関しては全く、想像がつきません。頂点に立ったとき、つまらないのか、楽しいのか、辛いのか、悲しいのか、やり遂げたと感慨があるのか、そういうことが分かりません。
想像してみても、分からないことは分からないのですが、山登りをして、頂上に立つような気分なのかなとも思いますし、そうでないような気もします。
もしかしたら、映画『ゴッドファザー』のように、頂点に立っても、さらに上を目指す、或いは、上には上があり、それ以上、登れないところまで、登るようになるのかもしれません。頂点の上には、更に、上の世界があり、それを目指すのかもしれません。そういった意味では、頂点というのは、あるようで、ないような気もします。
現実的に小さな山しか登ってないからか、そういうところは井の中の蛙ですね。テレビで、高い山に登って、頂点から見る景色を見ると、とても絶景に見えます。「何かの頂点に立つ」というのは、現実に景色を見て、絶景だなと思うようなことなのか、というのは、想像力が貧困なので、分かりません。
だからといって、頂点を目指してはいません笑。ただ、人間の生きる道、年をとっても、分からないことは分からないのです。
引き続き、国際ビルのお問い合わせをお待ちしております!
6月に入り、梅雨の天気になるかどうかというところで、晴れていて気温は上昇し、ちょっと、リズムが狂いそうな気候ですね。私も、日常の習慣が崩れそうで、何か、不安な気持ちになりそうです。こういった時は、気晴らしに、ひとっ風呂、温泉に入りたい気分です。
国際ビル、一階店舗(スケルトン)など、店舗などのお問い合わせがありましたら、是非とも、ご連絡ください。
078−611−3814
まで、ポチッとご連絡ください。ご対応したします。
このホームページも九年くらいなりましたね。誰かが見ているようで、誰かが見てないような不思議な感じです。ただ、熱心な営業の方は見ておられるので手は抜けません。
ホームページの編集のログイン時に、
「私はロボットではありません」
と確認する認証があります。気にしていなかったのですが、クリックするときに、ロボットでないという判断がなされるようです。
たまに、人から、
「あなたは一家に一台、必要だ」
というお褒めの言葉をいただくのですが、これも、裏を返せば、ロボットのように働いているという侮蔑の言葉のように感じるので、何か、モヤモヤしますね笑
褒めているか、貶されているのか、分からない言葉ってありますよね。
この世の中も、ロボットのように働く人ばかりでは成り立たないと思います。
備蓄米の騒動を見ていると、必要な人に、必要な施策をする、という大前提の原則があり、それを実行した。批判はあるけども、必要な人には需要があり、それが、私から見れば正しいような気がします。
亡くなった先代社長は、原理原則に厳しい人でした。
原理原則とは、
「その本質を何かを見極める、そのために必死に考える」
ということだと、肌感覚で学び取った気がします。
社会の環境は、刻一刻と変わっております。
ただ、「仕事をする」ということはどういうことなのか、原理原則に立ち返って、考える必要があるかもしれませんね。
ただ、今は暇なので、お問い合わせ、お願いいたします!
4月も月末に近づき、春らしい陽気になって気分がいいですね。最近はストレスがあまり無いせいか、将来もきっと安泰に違いないと勘違いしております。ストレスのある頃は、将来なども考えられないくらい、明日のことで手一杯だったのですが、こうも気候がいいと、気前よく買い物しそうになります。こういう時は用心ですね。
国際ビルの一階店舗(スケルトン)、地下店舗(居酒屋居抜き)、スナック店舗、まだまだ、募集中なのでよろしくお願いいたします。
今日はニオイの話なのですが、今日、日曜日、ボーと考えていたら、新長田の街もすっかりキレイになり、あまり、友人からゴムのニオイがする、と言われなくなりました。私は子どもの頃から、住んでおりますので、ゴムのニオイというのが嗅覚の中でも全く感じない感覚です。
小学生の頃、通学路の金属の加工所を通るたび、金属のニオイがするな、と感じたり、最近は空気がきれいなのか、車の排気ガスのニオイも度々、します。金属のニオイは金属加工所の人は多分、感じていないだろうし、排気ガスの多い都会に住めば、徐々に排気ガスの匂いを感じなくなるし、人間は自分の環境に応じて、自分のニオイ、環境のニオイを感じなくなると思います。
私は準工業地帯のいろんな工場のニオイが常にあった状況ですから、そういうところは鈍感だったりしますし、山に住んでいらっしゃる方は、空気が澄んでいて、ニオイの感覚も鋭敏かなと思います。
男性のニオイは女性にとっては不快、男性にとっても女性のニオイは不快ということもあるかと思います。ニオイについて、ラーメン屋に入れば、醤油の匂いがしますね。でも、店内にいる人は分からない。カレーのスパイスのニオイもそうですよね。そういう事があるかと思います。ちなみにですが、私個人はしいたけのニオイ、焼いたレバーのニオイはやたら感じます笑
ある時、ニオイについて、鋭敏な店主のいる飲食店に入ったら火薬のニオイがしました。店主は気付いてないようで、私も店外に出て、しばらくして入ったのですが、やはり火薬のようなニオイがする。やはり環境によって、自分のニオイ、環境のニオイを感じなくなるようですね。スポーツをしていたら、部室のニオイを感じなくなるのと同じです。
まぁ、愚痴なのですが、人から「あなた変な匂いがするね」と言われたりもしますが、そういう人に限って、靴が臭かったり、「芳香剤の匂いが嫌い」という人に限って、甘い変なニオイを漂わせていますね。
それだけ、自分や環境のニオイというのは、気づきにくいということなのですから、今日、言いたいのは、無臭の人間なんていないのだから、クサイと言わずに、もっと、みんな、ニオイに関しては、寛容に生きようよ、ということです。私はクサイということは人には言わないのですが、どういえばいいのでしょうか、クサイと指摘できる人は、よほど、無臭なんだろうな、と思います。
ただし、化学過敏症の人には実害がありますので、これについては、技術が進んでほしいなと思います。